カウンセリングによって、生きづらさを強みに変えて人生好転!
はじめまして
オンラインカウンセラーの
坂梨 禾森(さかなし かりん)です。
当サイトをご覧くださり、ありがとうございます。
アダルトチルドレン・愛着障害・HSPを乗り越えて、生きづらさを、強みに変える
「人生好転! プライオリティカウンセリング」を提供している、
坂梨禾森(さかなし かりん)と申します。
今、この文章をお読みくださっているあなたは、心のどこかに不安やつらさを抱えていらっしゃることと思います。
私自身、子どもの頃から心身ともに疲れやすく病気がちで、生きづらさを感じ続けていました。
親の意向に沿って教員となり、ブラックに働き、気づけば、教頭に。
うつ、適応障害、がんも経験し、とてもつらい日々が続きました。
しかし、それらをきっかけにさまざまな心理学、心理療法、カウンセリングを学んだことで、幼少の頃からずっと抱え込んでいたHSP気質、AC、愛着障害、複雑性PTSDを克服し、カウンセラーに転職することを決意しました。
お悩みを抱え、生きづらさを感じている方がお悩みを解消し、自然体で、自分らしく生きられるよう、あなたの1番の応援者としてとここん寄り添います。
どうかお一人で悩まず、ご相談ください。
私の人生を変えたのは、あの時のカウンセリングでした
厳格な父と多忙な母に育てられ、HSP気質なところに、アダルトチルドレン、愛着障害の要素が絡まり、何事も真面目にがんばるべきだ、自分のことより周りのことを優先すべきだ、自分の感情より義務と責任を優先すべきだ、と考える性格でした。
無理に無理を重ねて、50歳を超えたとき、大病を患いました。
1人では受け止めきれず、誰かに聞いてほしいと思いました。
でも・・・
家族にも心配をかけないよう、主治医にも、看護師さん達にも、迷惑をかけないよう、平気なふり。
毎晩、不安と恐怖のために、ベッドの中で声を出さずに、泣いていました。
手術をしていただいた病院で、カウンセリングが受けられると知り、入院中にお願いしました。
「やっと、話せる・・・。」
年下の、初対面の人(カウンセラー)の前で、号泣!
これが、私の人生好転のスタートでした。
今になって思うと、子どもの頃から、
鬱傾向も出ていました。
大学を卒業する頃、完全に
鬱状態になっていました。
鬱状態なのに、必死に、
平気なふりをして教員をしてきました。
そんな私が、人生を好転させられたのは、
「カウンセリング」のおかげです。
私がカウンセリングに出会うまで
高齢の両親の間に、一人っ子として生まれました。
童謡のレコードを聴かせると、
太鼓の音におびえて泣く赤ん坊だったそうです。
それなのに、
父は昭和の頑固親父。
叱るときは、手が出るタイプ。
何が原因で叱られたのかは
全く思い出せません。
ただ、叱られたときの自分の姿と恐怖感は、
今もハッキリ覚えています。
「父に怒られたくない。」
「怒られないためには、
黙っておとなしくしておかなくちゃいけない。」
という気持ちが、私の心の奥底、
潜在意識に刷り込まれました。
(でも、このことをしっかり自覚したのは、
50歳を過ぎてからです。)
母は仕事と主婦業に多忙。
母との関わりは薄かったです。
母と雑談したり、談笑したりした記憶がありません。
1人でTVを見たり、本を読む日々。
家族の団欒や
同年代の子がしている遊びの経験がないまま、
保育園児に。
繊細な気質のところに、
父の体罰、母の不在が加わり、
今ならわかります。
私の愛着障害・アダルトチルドレンに、
拍車がかかっていきました。
幼児期、よく高熱を出しました。
カウンセリングを受けるまで
気づかなかったのですが、
高熱を出すと両親は、一緒に居てくれました。
優しくしてくれました。
人間が普段自覚できない「潜在意識」。
潜在意識は、自己の望みを実現しようとして、
私たちの心身を動かし、現実を動かすと言われます。
私の潜在意識が、
両親に優しくして欲しかったのは間違いありません。
だから私は、熱を出していたのでしょう
友達づきあいの仕方がわからないまま、
小学生になりました。
毎日遊びに行く友達が、できました。
でも、母親から
「毎日遊びに行ったら、迷惑じゃない?」
と言われて、
友達の家からそういう話があったのかと
思ってしまい、
友達には聞けず、
遊びに行かなくなりました。
その後、放課後に友達と遊ぶことはなくなりました。
私は、繊細さんなところに、
愛着障害、アダルトチルドレンの道を歩んで、
自分の感情を直視しないという習性を、順調に
身につけていきました。
中学生時代、
1人の同級生からいじめを受けました。
たった1回、
暴言を投げつけられただけのことでしたが、
いじめられたことがショックで、自信喪失。
ますます、引っ込み思案に。
ますます、自分の感情を直視しないことが
強固な習慣に。
自分の感情を直視せず、
ただただおとなしく過ごすことが習慣になりました。
自分の感情を無視するとどうなるか、、、
、、、生きるのが苦しかったです。
人前では無表情になっていました。
人に自分の気持ちを伝えることがありませんでした。
人とどう付き合っていいか、わかりませんでした。
自分がどうしたいか、わかりませんでした。
でも、長らくそのことに気づかず、
生きるのが苦しいのは自分の弱さだ
と思っていました。
自分の感情を無視して、
幸福感を自ら、遠ざけていたのです。
自分で自分を不幸に、地獄に、突き落としていました。
親との関係も変わらず、
親と話し合ったり、対立したりすることをしたくなくて、
高校進学も親の言うとおり。
とにかく、叱られないように、
人から攻撃されないように、
おとなしくするようにしていました。
高校時代もそのまま過ぎ、
高校卒業後の進路は、自分で決めたいと思いましたが、
自分のなりたい職業ではなく、両親の意向で教師になることに。
自分のしたいことではなかったため、
大学では、勉強する気がまったくありませんでした。
でも、実家から離れて1人暮らしができたので、
生まれて初めて、「自由」というのを感じました。
サークル活動と恋愛に全力投球。
100人を超えるサークルで運営スタッフになりました。
でも、やっぱり人付き合いが苦手で失敗。
1年間、引き籠もり。
サークル活動は楽しく、
大勢と交流できて楽しかったです。
初めて、「仲間」という感覚を味わいました。
しかし、サークルを途中で辞め、交流を断ちました。
私の大学生活の思い出も、成果も、
無くなってしまったように感じました。
大学を卒業後、
就職活動もできなかった、しなかったので、
1年間は自宅で引き籠もっていました。
そんなとき、
父の部下だった先生から声をかけていただき、
中学校の講師に。
引き籠もっていましたが、
両親は高齢なので、自分で稼がなければなりません。
世間体も気になり、
働きに行く気にはなりました。
教師になりたいとは思いませんでしたが、
高校まで、勉強しかしていなかったので、
私の知っている社会は「学校」のみ。
そこで生きていくしかないと感じていました。
中学校の教員に正式採用。
教師としての勉強も、人付き合いの勉強も、
身についていない状態で、教師業スタート。
多忙な職場であった上に、
自分の性格から、
周りに教えを請うことができませんでした。
「今、相談したらご迷惑だよね。」
「こんなこと聴いたら、笑われるかも。」
「そんなにまだ親しくないよね。」
。。。等など、
相手の気持ちや立場を考えすぎてしまう性格。
その上、何事も真面目にやるべきだと考えている
堅い性格、
そして、失敗を恐れる性格。
目の前の子ども達に愛情を感じることはできました。
教育に対する使命感もありました。
だから、一生懸命、自分なりに努力し、
教育、心理学、人付き合いの知識とスキルを
身につけながら、働きました。
ただし、家に帰ったら疲れ切って、
何もできない状態。
家事は母に任せっきりで、ずっと過ごしていました。
今考えると、異常な生活ですよね。
でも、当時は気づいていませんでした。
20代後半、学年主任を任され、
朝早くから夜遅くまで働いていたある日、
車の運転中、涙が止まらなくなり、
内科の主治医に電話をしました。
「すぐ休みなさい。」
と言われ、病気休暇を1ヶ月取得。
「鬱だよ。」と言われました。
でも、鬱であることは周りに隠したくて、
病名は、「心身症」と書いてもらいました。
1ヶ月で復職。
曰く付きの学年を担当。
いじめをはじめとする
さまざまなトラブルが起こりました。
明るいうちに帰れないのは当たり前で、
放課後、車の中で仮眠することも、しばしば。
その後、また転勤しましたが、
新しい学校では、
同僚によるいじめもありました。
大人で、しかも教師で「いじめ」というと信じがたいですが、
教師といえどもいろいろな方がいます。
人付き合いが苦手なのに、
そんな風に見せないように
ムリにムリを重ねてがんばりました。
教師は、生徒の、他の人の見本にならなくては!と。
心身ともに疲れがとれないまま、教師を続け
30代半ばから心療内科に通い始めました。
カウンセリングを受けて話を聞いていただくことで、
気持ちを楽にしてもらっていましたが、
ある日突然、
担当のカウンセラーが退職されてしまい、
ショックでクリニックを変わりました。
2つ目のクリニックでは、
数分の問診で「躁鬱」と診断され、薬を処方され、
以後、40歳半ばまで飲みました。
薬の効果は、正直、わかりませんでした。
そのクリニックでは、精神科医と2・3分話して、
薬をもらうだけでした。
2つ目のクリニックも閉院となり、別のクリニックへ。
「躁鬱ではない」と診断され、薬を減薬。
3つ目のクリニックの主治医が引退したため、
再び、別の心療内科に転院。
躁鬱でもないし、古いタイプの薬だと言われ、減薬。
(すぐに止めてはいけないお薬だったのです。)
その後まもなく、薬はすべて服用を止められました。
人付き合いが苦手で、人に聴けないので、
独学で、必要な知識やスキルをかき集め、
教師として、社会人として、
表面的には成長していきました。
授業力、教師力は、少しずつUPしていきました。
初任者の指導を任されるようにもなりました。
でも、実は、
心の中には、
怒られることを怖がり、
失敗することを怖がり、
人との付き合いに消極的な自分が
存在し続けていました。
40代が終わる頃、
管理職試験を受けることを勧められ、合格。
教頭に昇任。
教頭って、学校の中で一番忙しいって言われます。
中間管理職ですし、
人間関係の潤滑油になるべきポジションです。
私に「教頭になれ」と推薦してくれた先輩校長は、
私の能力を買ってくれていました。
しかし、それは、
鬱を隠して、
ムリにムリを重ねて、
弱身を見せないよう、
無理に無理を重ねた状態の私を見てのこと。
正直、自分を認められて嬉しかったです。
存在を認められ、肯定され、
頼りにされて、嬉しかったです。
だから、迷いましたが、結局、挑戦しました。
しかし、病弱な上に、心も未熟だった私には、とても大変な職でした。
その上、様々な悪条件が重なり、
以前よりさらにブラックな日々。
教頭3年目に体の不調で、休職。
症状が治まり復帰しましたが、心身の疲れが酷く、
ひと月後に、心療内科で抑うつ状態と診断され、再び休職。
翌年度まで休職を持ち越しました。
二度目に休職したとき、
心療内科の主治医に、
「仕事を辞めないの?地獄でしょ。」
と言われました。
びっくりしました。
「仕事を辞める」という選択肢など、
あり得ないと思っていたからです。
なぜ、そんなことを言われるのか、
わかりませんでした。
退職は、社会から落伍することだと思っていました。
納得できませんでした。
「教師は務まらない」と烙印を押されるようで、
腹立たしかった。
自分の弱さの結果の鬱であり、
仕事を辞めることなどできないと思っていました。
自分さえ強くなれば、
今の状態は、治るんだと思っていました。
今は、
当時の自分は、
自分で地獄を創り出していたこと、
抜け出せる地獄なのに、
抜け出そうとしていなかったことが
納得できます。
でも、当時はわかりませんでした。
休職中にかなり調子がよくなったので、
延期していた検診へ行きました。
、、、検査の結果は、「癌」でした。
いやぁー、大変でした。
手術後の検査結果が出るまで、
癌の状態が明確にはわからなかったため、
その間の1カ月半は、不安でいっぱい。
最悪のパターンを想像しました。
放射線治療、抗がん剤治療をして、
髪の毛が抜けてしまう。
体が弱っていく。
末期癌状態で、すぐに死んでしまう。。。
自分の死の恐怖は勿論ですが、
高齢の母を1人残して死ぬこと、
自分の部屋や荷物、
銀行口座、諸々の契約、、、そのまま残したら、
母は何もできないだろう、、、
そんなことが気になって、どうしたらいいんだ!
と頭の中はパニック状態になりました。
人付き合いが苦手なので、
友達は勿論、親戚、ご近所とも
最低限の付き合いしかしてこなかったことが、悔やまれました。
このままでは死ねない!
そう思いました。
幸い、癌は、
手術によって取り切っていただき、
再発防止のためのお薬を飲み続けるという治療に落ち着きました。
しかし、癌のやっかいなところは、一度かかると、
再発、転移の恐怖が付きまとうこと。
とても1人で耐えていけそうにありませんでした。
入院中に、カウンセリングをお願いし、
毎回、号泣!
初めて、不安や恐怖、辛さを、
人に話しました。
そして、
カウンセリングによって、
自分が、自分の感情を無視し、
親や周りの基準で生きてきたことに、
気づかせてもらいました。
カウンセラーさんが、私の心に寄り添い、
紐解いてくれたおかげで、
自分の考え、感情を整理し、
今後、どう生きていくか、
考えることができました。
自身の経験を活かし、今同じように苦しんでいる人たちのためになりたい…
その想いを胸に、カウンセラーになることを決意。
大病を患った時に受けたカウンセリングをきっかけに、さまざまなカウンセリングやセラピー、セミナーに参加し、話を聞くだけでなく、心について教えていただき、
さまざまな心理療法を通して、気づきと癒やし、
人生を好転させるためのツールをいただきました。
そして、
辛い思いをしなくても、自分らしく居られる方法を身につけました。
今では、
HSP気質、アダルトチルドレン、愛着障害の特質を強みに変えて、
カウンセラーとしてお悩みに寄り添えるようになりました。
そして、私のように
自分の感情を直視しないことが癖になってしまっている方、
人付き合いが苦手だなぁと悩んでいる方、
身近に相談相手がいないと思っている方、
心身に不調が出るまで
がんばりすぎている方、
AC、愛着障害、HSPなどで悩んでいる方の「お役に立ちたい」
そう思って、
オンラインカウンセラーをしています。
今、お悩みを抱えているあなたへ
あなたが、もし今、
お悩みを抱えているのでしたら、
私のように、
長く苦しむことはありません。
人生のプライオリティ
(優先順位)を考え、
自分らしさを取り戻し、
人生を好転させるため、
自分をプロデュースする
あなたを、全力でサポートします。
オンラインカウンセラー
坂梨禾森(さかなし かりん)