「先生の子だから、できて当たり前」
そう言われたことも、
思われていると感じたことも、
何度もありました。
私は、教員である親のもとで育った“教員の子ども”です。
真面目でまっすぐな親を尊敬する一方で、
「親」ではなく「先生」に育てられているような
寂しさを感じていました。
この記事では、私が、“教員の子ども”として過ごした記憶から、
教員の方がご自身のお子さんとどう向き合えるか、
心のヒントをお伝えできればと思います。
教員の子どもとして育つということ
「できて当たり前」と見られるプレッシャー
私は勉強が好きで得意な方でしたが、
小学生の頃、近所の大人から、
「いいよね、先生の子は。教えてもらえるから。」
と言われました。
私の親は、私に勉強を教えてくれたことはありません。
「私は、自力でがんばっているのに!」と
子どもながらに、悔しく、腹立たしかったです。
逆に、体育や人前に出ることは苦手でした。
でも、「先生の子だから、できるはず」「しっかりできるはず」
と言われ、辛いことも多々ありました。
それでも、期待に応えようとして頑張りはしましたが、
周囲の眼差しが、
見えないプレッシャーになっていた気がします。
家の中でも「先生」と暮らしていた感覚
教員であった父親は、真面目で、公正で、
周りからも尊敬され、信頼され、
地域の方、皆さんから「先生」と呼ばれていました。
親に、悪気などまったくなかったと思います。
でも、私は
親が「親」というより、
「先生」のように感じていました。
「ちゃんとした子」でいなければ、、、と思っていました。
教員である親が無意識にしてしまいがちなこと
「正しさ」で子どもを包もうとしてしまう
間違いを正す、よい行動を促す
──それは教員としてとても大切な力です。
でも、家庭でもそれをされると、
子どもは心の居場所を見失います。
私も、つらいことがあったときや失敗したとき、泣いたとき、
「言い訳するな。
人の間違いより、まずは、自分のことを反省しろ。」
と刷り込まれ、
私の「気持ち」を言っても、聞いてもらえない
と、つらくなったことがありました。
子どもの“本音”より“正解”を求めてしまう
親は、私のためを思っての言動であったと思います。
けれど、私はずっと
「こう言えば喜ばれる」
「こうすれば褒められる」
「こうすれば怒られない」」という感覚で、動いていました。
本当の気持ちは言えない。
言っても理解してもらえない。
そんなふうに感じながら、
幼い頃からずっと過ごしていました。
———親子の心の距離は、実は遠く離れていました。
教員家庭で感じた「救われた瞬間」
「先生じゃなくて、親になってくれた」と思えた出来事
あるとき、親が私の話に一切アドバイスをせず、
ただうなずいて聞いてくれたことがありました。
そのとき、初めて
「あ、今は“先生”じゃなくて、“親”としてそばにいてくれてる」
と感じたんです。
アドバイスも、正論もいらなかった。
「わかるよ」
「そうだったんだね」
そんな言葉がほしかっただけだったんです。
「間違ってもいい」と言われた日のこと
失敗をして落ち込んでいたとき、親がこう言いました。
「大丈夫、間違えることもあるよ。私もいろいろ失敗してきた」
それを聞いて、はじめて心からホッとしたのを覚えています。
子どもは“間違いを許される空気”の中で、
ようやく自分を出せるんだと気づきました。
子どもの視点から見た「教員の子育て」のヒント
「指導」ではなく、まずは「共感」がほしい
子どもは、正しさを求めているわけではありません。
「自分の気持ちをわかってもらえた」という体験のほうが、
よほど心が動きます。
というより、
「自分の気持ちをわかってもらえた」とう体験がなければ、
子どもは行動する勇気を持つことができません。
特に思春期には、アドバイスよりも
“ただ話を聞いてほしい”時期です。
それだけで、話を聞いてもらうだけで、
子どもは救われることがあります。
親も人間であると見せてくれてよかった
完璧な親でなくても、子どもはちゃんと育ちます。
むしろ、私が一番安心したのは、
「私も迷ってる」「これでいいのか不安」と、
親が正直に話してくれたときでした。
教員だからこそ、つい
「正しくあろう」「強くあらねば」
とがんばってしまう方もいるかもしれません。
でも、
不安や弱さを見せられる親の姿も、
子どもにとっては学びになると私は思います。
教員の子どもとして育った私から、子育て中の教員の方へ
「ちゃんとしなきゃ」より「そのままでいいよ」を
私はずっと「ちゃんとしなきゃ」と思い続けて育ちました。
でも本当は、
「できなくても、あなたはあなたでいい」
と言ってほしかった。
子どもは、安心感の中でこそ、本来の力を発揮できます。
「信じてるよ」
その言葉が、子どもの背中を一番そっと押してくれるのです。
「信じられている」と確信が持てたとき、
その安心感が心の安定を生み、
行動する勇気が持てるのです。
あなたのまじめさと愛情は、きっと伝わっています
親として、教員として、
まじめに、精一杯がんばっているあなたの姿。
子どもは、ちゃんと見ています。
たとえ今は反発していたとしても、
必ずその愛情は届いています。
どうか、自分にもやさしい目を向けてあげてください。
あなたがゆるんだとき、
きっと親子の関係もあたたかくなっていきます。
あとがき
私は、教員の家庭に育った“子ども”の立場から、この文章を書きました。
同じように悩みながら子育てをしている方が、
少しでも気づきや安心を得られたならうれしいです。
子どもは、ただ“わかってほしい”だけなんです。
「先生」ではなく「親」としてのあなたの言葉が、きっと心に届きます。
「教員の子どもとして育った私が伝えない「子育て」の視点vol.101」へのコメント
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